髪が抜けることは同じでも、命と隣り合わせということ

先日、あるがん患者さんをサポートするという団体の代表者の方とお会いする機会がありました。
その方は、自らが乳がんになり、いまでも再発と隣り合わせという状況の中で、患者の視点でニーズを捉え、「納得できる治療」、「安心できる生活」、「自分らしい生き方」ができる場とそれを支えるサービスを提供するという事業をされています。
抗がん剤治療で髪が抜けるということもあるわけで、円形脱毛症も髪が抜けるということでは同じ境遇にあるのですが、決定的に違うのは、かつら云々というより、常に死を意識し、1日1日を精一杯生きているということ。生きるということはどんなことか、死を意識した絶望の淵からどれだけつらい日々をすごしているのか。
ただ単に見た目ということ以外に、想像を絶するような苦しみに耐えているのでしょう。
明日どうなるかわからないというギリギリの状況で、一度神様から与えられた命と思うと、今まで以上に意識が高まって、全力で走ってしまう。
体力、精神面においても決して簡単なことではないと思います。
円形脱毛症も再発の恐怖に常に不安にあるけれど、ガンの再発の恐怖って一体どんなものなんだろう。
人それぞれ考え方は違うだろうけど、生きられるってことは、なにものにも代えられないことじゃないかな。
困っている人に、何ができるかなんて思いながら仕事をしているけれど、そんな人たちから比べると、自分はまだまだだと思いました。
ただ言えることは、病気になってはじめて、人の痛みがわかり、優しくなれるんだなって思う。
もし私がこんな病気にならなかったら、すごく嫌なやつだったかも。
大きなことはできなくても、誰かの真似をしなくても、自分らしく、自分にできることを精一杯やろう、と思った一日でした。

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